シバ犬あっちこっち ~日本語教師のモノローグ~

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カテゴリ:本 編 2016( 226 )


2016年 12月 31日

12月31日(土)  自主トレ

 自主トレを敢行@静岡。アタマとカラダの両方です。初日は熱海の海辺に始まり、以降は駿府城址を早朝ジョグ、夕刻は少しアップのあるトレ、昼と夜は徹底的に読書を繰り返します。天候に恵まれ、富士の雄姿を楽しみ、連泊のおかげで静岡駅周辺がより把握できました。読めていなかった本を7冊一気に読み通し、刺激がいっぱい。体力も若干リカバリー。最終日の今日は総仕上げとして、今春苦戦した熱海の姫の沢公園、そのトレイルコースを復習ラン。アップ300、5.5キロ。一気登りに思い切り息を切らしつつも熱海湾の絶景を楽しみました。そんなバカな私、疲れを残さずに過ごせた自分に自信回復。明日から元気が出そうです。いまのところ、筋肉痛はありません。

 宿やいくつかのカフェでページをひたすら繰り続けながら、来季の授業の構想、イメージを少しずつ形作ります。頭でっかちになってもいいと思います。さらに、来月実施するヒューマンライブラリー、断続的に開催している語りの研修、そして近年盛んなライフヒストリー研究、この3点の接点などを考えていました。

 帰途、今まで気になっていた来宮神社に初参詣。境内は広くないですが、雰囲気のあるところでした。樹齢2000年ともされる大クスノキが立派。気に入りました。再訪する価値あり。

 石垣島、そして今回の静岡もそうなのですが、とても心に残っている場所を探したのに、たどり着けないことがあります。幻でしょうか。これはこれで、大切に記憶にとどめればよいと悟りました。きっと夢なのです。そう思うことにします。

 忘れてはならないこと。昨日は大瀧詠一氏の命日でした。大瀧氏に関わりのある近刊を求め、その足で?一気に読み終えました。今回たまたま持参していった、やはり関連の一冊も今夕JR線内で読了、さらに先ほどは地元書店で偶然手に取った、氏を特集したムックのパックナンバーを求めました。氏に導かれ、豊かな日々が過ごせたことに感謝しつつ、今年が終わろうとしています。休み中もふだんと変わらず活動が止まらない私。トータルでは充実の一年、いい年末でした。

by 1220hagiwa | 2016-12-31 22:18 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 26日

12月26日(月)  せめて3泊

 報道されていましたが、世田谷事件のご遺族の方のお話と、それに関連して作家の星野智幸さんの講演を聴く機会がありました。昨年の平野啓一郎さんも素晴らしかったです。そして今回の星野さんは平易な言葉でもって、まさに言葉の真髄を衝いてくださいました。もちろん、著書にしっかりサインをいただきました。エッセイもなかなか読み応えがあります。

 会場だった上智大学からの帰りに寄ったのが、半蔵門駅入口に位置する書店。ここがいつもいい品ぞろえをしていて、ついつい財布のひもが緩みます。やっばり今回も、目に留まったコミックを2冊も買ってしまいました。書店は書店でも自宅近くのブックファーストは、基本は質より量。今年5月末に閉店した地元資本の小さな書店の後に入ったのが、ワンコ・ニャンコ向けグッズの販売店。でも、平日はほとんとぜお客さんがいないように見えます。休日だって、そうは入っていません、そりゃそうだ、そんなにニーズはないですよ。本屋なら、買う買わないは別に、とにかくお客さんは来ますから、なんだかんだにぎわいます。あぁ、本当に寂しい。たとえ少々規模が小さかろうと、地元書店という文化資本の衰退は、地域文化の拠点が失われるということに通じます。

 1月期から、「魔女の宅急便」「火垂るの墓」を扱うことにしました。どちらも初めてのこと。準備がちょっと面倒、いや楽しみです。中古ですがDVDを買い求めました。繰り返し視聴して確認したいと思っています。ちなみに「魔女」には5時間程度、「火垂る」には4時間程度費やす予定です。ほかにも、新規授業がスタート、自分の首を絞めます。

 思い出しました。その店のレジの方の名前は「濱比嘉」さん。尋ねると、やっぱりあの島の出身でした。平安座島から渡って…。あぁ、今年は結局一度も走りに行けませんでした。来年は、ゆっくり訪ねたい。春か、秋か。せめて3泊あるいは4泊ぐらいして…。

by 1220hagiwa | 2016-12-26 23:36 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 24日

12月24日(土)  小熊さんの指摘 

 歴史社会学者の小熊英二さん。彼の明快な批評が好きです。語り口は柔らかく、ごくまっとうです。今回指摘していたのが、トランプ氏や橋下徹氏の支持者たち。確かに、私は妙な違和感をもっています。たとえば大統領選で応援していた人、支援集会に参加していた人は、映像で見る限りどう見ても中流レベルの生活を送っています。ビール片手にバーでワイワイ語らっていたりして。でも、本当に経済的に困窮し、移民が仕事を奪うと危機感を抱いているのなら、そんな生活習慣はもっていないはずだろうに。

 同様に、橋本氏の支持者の方はふだんきちんと働いていそうな印象ですし、身なりからしてもどう見ても低所得者、貧困にあえぐようには見えません。むしろ安定した経済生活を送っているようす。要は、中流から滑り落ちる危うさの要因を弱者にすり替えていて、それは自分の安定的で経済的に余裕ある身分が脅かされることへの危機意識から来ているのかもしれません。例の沖縄への蔑視発言、ならびにそれを擁護するどこかの市長の発言に通じるのではないでしょうか。まっとうに考えれば、一連の言動はただの弱い者いじめに近いと思いますが、どうなのかな。少なくとも私の接する留学生は弱い立場、生活基盤のもろい部類に入りますから、私はこれらの動きに多少敏感にならざるを得ません。 いや、日本語を教える者なら、そうあるべき。感覚、感性の鈍い私は、もっと注意していきたいです。

 関連して、昨今長時間労働が議論されています。日本語学校は長時間労働の一翼?を立派に担っています。働き方、つまり教え方や教える内容、あるいは雑務を見直すことはできなくもないと思います。非常勤の方が辞めたくなる、そんな惜しいことのないようにするためにも。

by 1220hagiwa | 2016-12-24 22:17 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 23日

12月23日(金)  落穂拾い

 まるで落穂拾い。そう思うことがあります。以前は観られなかったアーチストのコンサート、美術館、博物館に積極的に行くように心がけているここ数年の私のトレンド。齢をとったからとは言いたくありません。多少のお金と手間をかけても、好きなものは観ずにはもったいないと思います。

 いま観ていた(@NHK)吉田拓郎さんとはあまり縁がありません。ただ、中学生の時だったかに聴いた大作「アジアの片隅で」はいまも耳に残っています。先ほど、名曲とされる「人生を語らず」を初めて聴きました。なるほど。メッセージ性の豊かな吉田さんの曲は、地に足を着けていて力強く、聴く者を奮い立たせるかのよう。

 で、今度、ついに来春、松任谷由実さんを聴くことができます。もちろん、初。どんなものなのでしょう。今夜の拓郎さん同様、東京国際フォーラムですから、3階あたりでちっちゃく観るのかな。でも、いいです。まずは行って、どんなステージなのか、確かめたいです。

 そういえば、拓郎さんの前に、矢野顕子さんの「JAPANESE GIRL」が取り上げられていました。この名盤にちょうど触れていたのが、たまたま今手にしている、日本のロックを回顧する一冊。縁を感じます。この名盤、手に取ってみたいです。

 休日出勤。週明けの報告会向けの資料を作成。できうるなら明日もそうしたいところですが…そうしたらアタマがおかしくなるので、控えます。そもそも、私が仕掛けた報告会。その中で、歌詞を楽しむ授業があります。いい歌詞は、読みこむほどに芳醇。もっと深めたいです。今日を契機に、拓郎さんも候補入り。来季実践する、70年代のシリーズで取り上げてみましょうか。

by 1220hagiwa | 2016-12-23 23:30 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 20日

12月20日(火)  清々しさ 

 「逃げ恥」が無事予定通りに着地し、「恋ダンス」もフルで披露。最終回を愉しく見させてもらいました(ただし内容自体はどうってことのないもので、ゲイが不自然さなく扱われていた程度)。当初から忘年会向けの企画だっただろうだけに、見事に年末の話題をさらって担当者はニンマリといったところでしょうか。でも、そんな意図とは別に、見ているだけでも気分が上がる楽しいダンスでした。

 当然のことですが、おもしろいです。それは、一夜にして「ASKA容疑者」ときに「ASKA」から「ASKAさん」「ASKA氏」へとメディアの呼称が一転したことです。日本のメディアの特性が顕著に表れます。でも、それより何ですか、あの「尿」と「お茶」の話は。くっだらないというか、バカらしいというか。ASKAさんもASKAさんですが、警察も警察。互いに小学生のガキみたいな言動をとっていませんかね。双方の低次元のやり取り兼言い訳たらたらで、まったく意味不明。どこか情けなささえ感じてしまいます。これ、何なのでしょう。

 普段とは全く異なる、伸び伸びとした学生の姿を見たのが、最終日の授業。自由時間にカードゲーム「UNO」をしたときに、国を越え、優しく、柔らかく、互いを尊重し、語りかけ、とっても仲良く過ごしていました。日本語のレベルはまったく関係ありません。つい日本語にこだわるのは、教師としてのホントに悪い癖。彼らの和やかさと清々しさが強く印象に残りました。嬉しかったです。ASKAさんの一件とは実に対照的。

by 1220hagiwa | 2016-12-20 23:28 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 18日

12月18日(日)  待望の全生園

 待望の訪問を実現。それは、多磨全生園に隣接するハンセン病資料館。館内は思ったより広く、あまりじっくり見る余裕のないままに、語り手である平澤さんの講演時間になりました。この2年ばかり、第3日曜日の訪問機会を狙い続けたものの、学会やら天候不良やらなんやらで行けずにいたのですが、ついに機会が訪れたわけです。

 朗々とした、熱のこもったさすがの語り。読売の記者もいたこともあって後半は施設運営の現状、特に政府に対する平澤さんの強いメッセージが初めて吐露される機会となり、聴き手は圧倒されました。

 もっと学びたい。強く思います。知らずにしていいものではないでしょう。そのうえで、機会を作って必ず再訪します。

by 1220hagiwa | 2016-12-18 23:18 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 17日

12月17日(土)  決着 

 「哲学カフェ」、全9回、決着。そこそこに力を入れたせいもあってか、今期新たに展開したいくつかの連続授業のうち、最大の成果を上げられたと思います。唯一、人数が多くて学生を思ったように動かせなかったことが悔やまれますが、毎回の振り返りシートの充実度の高さに、嬉しい悲鳴を上げ続けました。彼らからは一様に感謝、賛同、絶賛(言い過ぎか)の言葉が寄せられ、私はひたすら嬉しく幸せなのと同時に、そっくりその言葉を彼らに返したいと思います。私にとって大きな自信になりました。

 何だかんだと観てきた「真田丸」。明日が最終回です。例の「新選組!」以来の三谷幸喜さんの脚本だからというのも大きな理由です。各回に印象的なシーンがあり、さりげないギャグもぬかりなし。前回の「口吸い」も、おのれ、さすがにやるなぁと思わせました。明日の夜にはきっと「真田ロス」なる言葉が生まれていることでしょう。

 没後100年ということで夏目漱石がずいぶんクローズアップされてきた今年。でも、50歳になる前にこの世を去っていたとは知りませんでした。今の私とほとんど変わらない人生の長さ。ただ、充実の度合いは天地の差だと思いますけれど。そもそも比較なんぞおこがましく、どだい無理としても、私なりにこれから充実させねばなりません。

by 1220hagiwa | 2016-12-17 22:58 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 16日

12月16日(金)  底なしの阿呆者

 とどまるところを知りません。それは、連日の授業とそれに付随する大小さまざまな業務、終わることのない準備作業。ふだんから深夜に及ぶ後者をさらに加速させるのは、残業を極力避けてこのところ訪ねている映画鑑賞。夏に堪能した角川映画の作品群のアンコール上映@新宿を、最終の上映時間に楽しんでいます。このクソ忙しい時期に…我ながら、底なしの阿呆者。

 個々の作品については機会があれば触れるとして、映画という物語の力にこの年末も打たれ続けています。テレビドラマではなく、2時間前後に凝縮された、俳優とスタッフの情熱の結晶としての物語。その連打。それが名作なりそれに類するものなら、見る者の心に届かないはずはありません。買い被りでしょうか。

 それのみにあらず。講演や研修が入り続け、授業の一環としての美術館訪問も隔週のペース。手帖に隙間なく書き込まれ、詰め込まれた、冗談ではなくまさに目が回るような日程の中で、かろうじて睡眠時間を確保しているこの数週間。このとめどない流れは、再来週の仕事納めまで続きます。

 そんなこんなで、内面的にも現実の机の上にも、整理しきれないまま膨大な情報とネタ、そして想いが積み上がり、この週末を迎えます。でも、明日のせっかくの土曜日もまた暇なし、びっちり予定が入っています。貧乏暇なし、知識不足かつ欲望の塊の私も、暇なし。

by 1220hagiwa | 2016-12-16 23:19 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 13日

12月13日(火)  勘違いも許す

 友だちがいないことは不幸せだというのは、勘違い。先日のテレビで、自閉症を抱える作家・東田直樹さんはそう言っていました。まさに思い込み。恐ろしいです。人はみんな、違う。

 ひとまず今日終えた、中級前半クラスでの実践「生と死」。彼らの言語表現はたしかに拙く、私もそれに合わせて手法を変化させました。例えば、話題を提示する際もあまり説明的なものは避けるようにしたこと。ですが、それが何らかの功を奏したというより、そんな些末な工夫を上回り、学生自身の本来の思いが以前より表出できるようになったと思いました。それは最後のインタビュー、コメントで感じられます。

 学生の求めているもの、したがる活動、大げさに言えば、求めている思索の機会が授業で何かしら提供できたと確信を持ちました。見た目、表面にあらわれたものだけでは測れない世界が、いかに内面に豊かに息づき、あるいは眠っているか、それを想像するに十分な時間を共有できました。人はそれぞれ、違う。学生の穏やかな表情、笑顔、優しいことばの数々が、そうした事実を受け入れているようにも感じられます。まあ、私の勘違い、思い込みでもいいでしょう。

 ということで、私はとうに日本語教師という既成の枠を脱していますし、それでいいのだとあらためて思うのでした。

by 1220hagiwa | 2016-12-13 23:52 | 本 編 2016 | Comments(0)
2016年 12月 11日

12月11日(日)  非言語への思い込み

 研修で先生とお話ししていたのは、言語教育においても、単なるツール、手段以上のものになるはずだというのが、アートセラピーに対する私の確信です。非言語は、おしゃべり。セラピーという言葉に縛られず、言語教育の一環として非言語活動がもたらす実りを上手に利用していくべき。ですから、1月期からこれまで以上に意欲的にチャレンジしようと、じわじわとプランニング中。先生との昨日の短い会話でもって、背中を押された気分です。

 年末だから?思い切って本棚を複数注文。捨てられないそもそもの性格に起因するとはいえ、引っ越しの際にはさすがに多少は処分しました。ですが、それでも黙っていても増えていく私の毎日ゆえ、この2年ほどで本棚1本分近くは増えた計算になります。いかん。もちろん、その中の半分はいずれ読もうと思って放ったままで、依然として並べてあるだけですが…。

 今夜も東田直樹さんのドキュメントが流れていました。昨日の続編。胸を打たれます。東田さんも、ある意味で、一見不自由に見える言語世界を生きています。でも、その内面の驚くべき豊かさとしなやかさには目を瞠ります。私なんて太刀打ちできません。言語にならないもの、あるいは非言語という枠は、勝手に我々の側の都合で作り、当てはめたもの。思い切ってそんなものを外し、捨て去ってしまったら、言語教育はずっと自由に、伸びやかになれる。ひどい思い込みかもしれませんが、そんな気さえします。

by 1220hagiwa | 2016-12-11 23:52 | 本 編 2016 | Comments(0)