11月23日(月)  エコエコ

 背後から音声だけ流しているテレビドラマの提供は、パナソニック。専らエコ商品の連呼です。昼間は昼間で、J-WAVEの休日特番のそれもパナソニックでした。「エコエコアザラク」の呪文かい、って思ったりして(古い)。

 私は取り立ててエコを意識して日々を過ごしているわけではありません。資源は無駄をしないように、といった程度のとっても軽い思いとともに普段は暮らしています。しかし、各メディアでで「エコ」を見聞きするたび、どうにも解せない思いにとらわれます。なぜでしょうか。エコという響きに、一切の抵抗や意見を許さない独善的な暴力性の匂いを嗅ぐからです。無言の圧力、「エコ=絶対的な善」という図式があって、そこを踏み外す者は人にあらず、のような雰囲気が年々深く静かに広がっているようです。

 極論ですが、人間さえいなくなればよい。人間の活動をストップする。種自体が消滅する。それが極限のエコ。逆にいえば、人間の叫ぶエコは所詮人間にとって都合のいいエコであって、それ以上でもそれ以下でもなし。誰が考えたのか、「サステナブル(持続可能)な発展」という言葉に大いなる欺瞞と虚飾を感じます。何、言ってんだ。ちなみに、この語彙は国研の掲げる「言い換え言葉」に入っていそうですが。とにかく、エコを標榜する電気製品から細々とした生活用品まで、要は一切作らなければよい。軍事関係もエコならどうかな。エコな戦争って格好よさそう。とにかく、エコの達成に莫大なお金と資源を費やすことの矛盾をだれも声高に主張できないシステムができあがっていて、戦時中の言論統制のよう。反対する類の意見を出すと攻撃されたり。

 そう、エコ自体はいいこと、確かに。ほどほどのエコを地道に実践すればいいのだと思います。それが身の丈をはるかに越えた拡散と権威性を身にまとい、一種の暴力やテロに近い流れになっていることに不気味さを覚えます。ですから、卑近な例ですが、私は職場のテキスト類でエコをテーマとした題材を扱うことに極めて懐疑的です。台湾や香港でも最近はエコが広がっていると耳にします。エコに関心を持つ学生も、ひと昔前よりずっと多くなりましたけれど…。
by 1220hagiwa | 2009-11-23 22:35 | 本 編 2009