6月25日(木)  もっと深く

 学期末の教師会が開かれました。春から夏へ。学生とも一週間ばかりお別れです。そして今後に向けての先生方の意欲には、本当に頭が下がります。心より、ありがとうございます、の気持ちです。一方で、複数の仕事をバランスよく進めることの苦手な私には、なんとも至らない点が多いためだけでなく、諸条件を鑑みると、私が力を発揮することを求められているベクトルが、どうも間違っているように思えてなりません。いま一度、仕事を精査しようと思います。さては、気づくのが遅いのでしょうか?

 そういえば、失敗したテストをきちんと復習して、あらためてチャレンジ(追試)しに来た学生がいました。すぱらしい姿勢です。やればできるじゃないか!すごい!思わず褒めてしまいました。学生の力というのは、一個人の想像をはるかに超えたレベルで発揮されることがしばしばあります。

 議論されることは少なくないですが、冷静に考えると、やはり、知識型言語教育だけでは学習者の内面の表出はおぼつかないとの思いは変わりません。ややもすると知識の教授が突出しがちではないかと感じます。どうしても、私たちは自分の受けてきた教育を再生産しますから。そうした日本語教育の現状と私の方向性の乖離、あるいは溝は埋まらず、広がる一方のような気もします。もし20歳代の私だったら、リラックスして自己を発露できる機会を、折に触れ提供してもらいたいと思うことでしょう。この夏は、もう少し、そのあたりの折り合いのつけ方を、より深く考察できたらと思います。

 そう、学生と観に行った歌舞伎@歌舞伎座。お恥ずかしながら私も内容は理解できずじまいでしたが、いい記念になりました。学生にもそうであったらいいな。
 
by 1220hagiwa | 2009-06-26 00:22 | 本 編 2009