4月19日(日)  主人と従者

 先月参加した「ドラマケーション」の続編になるような、体験会とシンポジウム@新宿の専門学校。そこで先日とは別に、ドラマケーションの基本、入り口に立つような活動を体感しました。前回以上に、今回はリーダーの先生の力もあって、いっそう集中して体験できました。その後のシンポでは、活動そのものというより、表現力にまつわる意見のあれこれを聴きました。そのヒントの一つでも実行に移せたら。例えば、「主人と従者」という活動。学生どうしの心理的距離感がぐっと縮まりそうです。言語活動にどう役立つかと突っ込まれると困るのですが、言語活動にこだわっているままでは、根本的な言語活動は活性化しないとの思いは揺らぎません。

 今回に限らず、あれこれと首を突っ込んでしまうのは、裏返せば、現状にただならぬ不安と同時に焦りを感じているからかもしれません。自らの実力、指導力、教授力の乏しさをいくらかでも補うために、あがいていると自己分析することが可能です。でも、座視してただ手を拱いているのみという姿勢は、ここ数年の私には到底できません。
 
 「何の本を読んだのかは、どんな人生を歩いたかの証明だ」とは、先日読んだ小説の登場人物の台詞です。この単純な言葉に、はたと手を打ちました。自室と隣室に並ぶ書棚には、まさに私の逡巡と後悔を繰り返す人生が投影されているはずです。でも、だからといって言い訳にはなりえませんが、私は本が捨てられません。その膨大な量。引越か死んだときにでも処分するまでは、このままでしょう。要は、諦めが悪いといってしまえば、それだけの話です。
by 1220hagiwa | 2009-04-19 22:22 | 本 編 2009