シバ犬あっちこっち ~日本語教師のモノローグ~

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2019年 08月 16日

8月16日(金)  要らないわけがない

 お気に入りの仙台メディアテーク。図書館が中心施設のひとつになっていて、そこで2時間ばかり過ごした先日。館長が鷲田清一氏で、氏の意思が反映されているような内容の充実ぶりです。建物の入り口に掲げられているのが、「対話の可能性」という館長のメッセージ。共鳴します。広い意味での対話なくして、望むべき良質な社会は成り立ちません。今回、あらためてカメラにおさめました。

 雑誌の閲覧コーナーで手に取ったのが、月刊「文学界」。なぜかというと、高校の新指導要領による国語教育の変化を危惧する特集が組まれているからです。簡単に言えば、新しいそこでは、非論理的で日々の生活に役立たないといった理由で、小説や詩をはじめとする文学作品を扱わない教科書が編纂される一方、論説文、評論文などを中心に取り上げ、行政の案内文や製品の使用説明書など実用文に時間を割くことが強く意図されたものになるようです。この傾向は、新試験をはじめとする大学入試問題にも必ず反映されていくはず。

 もちろん私は大反対。愚策であり、ただの阿呆だと思います。文学が要らないだと? 少なからぬお役人や有識者とされる方々は、どの教科書を使うか学校が選択できるから別によいのだ、などと言い逃れをするのでしょうが、そんな発想をする、耄碌した、浮薄で表面的な議論しかできない頭の連中が教育政策を決めることになっている現状自体がそもそもおかしいでしょう。そして、そうした文章だけを問うような入学試験は日常の授業に決定的な影響を与えるもの。たとえ、世界の教育の流れが…などと言い訳をしても、ダメなものはダメ。

 実は、私はここに日本語教育と通底するもの、思想のにおいをどこか感じなくもありません。学習者が接する日々のテキストや、特にJLPTといった大型試験が求めるものに疑念を抱くときが時折あります。彼らが知るべき日本語の豊かさを狭めたり失わせたりすることがあってはなりません。それは言葉への礼儀を失した、はしたなく下劣な行為であるし、精神生活、ひいては人間性を貶める行為のようにさえ思えるのです。こうした趨勢も踏まえ、果たして言葉の教育とは何か、教師の端くれ、些末な存在の私ですが、常に考え、心したいと思います。

 …と偉そうに書きましたが、仙台メディアテークについて、もうひとつ。ここには3.11を忘れないアーカイブ、というのかな、そんなコーナーが常設されています。映像、文字情報その他の工夫がなされ、なかなかの見応え、聴き応え。立ち寄る人はそんなにはいないのですが、資料を手に取ると、やっぱり衝撃的。見慣れてはならないと思います。スタッフの地味ながら誠実な取り組み、そしてその継続と充実が素晴らしく、誇れるものです。


by 1220hagiwa | 2019-08-16 21:19 | 本 編 2019 | Comments(0)


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