3月9日(土)  教師の中の風化

 続いて、今夜は宮城県女川町を舞台にしたドラマ。主人公の女の子が素晴らしいこともあり、泣かされました。私が何かできるわけではまったくありませんが…たとえ部外者でも、気持ちにわずかでも近づくことはあながち無理ではないと思います。そういえば、いまだに2千数百もの方々が行方不明と聞きます。思わず深いため息をつきます。

 3.11の記憶の風化が進んでいるのは、日本語教師も例外ではありません。直後はちょっとした例文や話題にも、津波や震災あるいは被災(地)といった語彙が頻繁に登場していましたし、トピックとして挙げるケースはごく自然にありました。ですが、今はどんなものなのか、容易に想像がつきます。体験を語る教師も、たとえ東京での、または授業中でのそれであっても、年々減っている実感があります。

 それでいいのか、疑問です。もちろん、絶対だめだなどとは言えません。教師の判断は自由。でも、何というか、惜しいというか、虚しいというか、うまい言葉が見つかりませんが、それは好ましくないね、いけないよな、という気持ちは少なくともあるのです。考えすぎなのでしょうか。日本に来た学生に、日本で起きたこと、世界に例の少ない天災あるいは人災を、体験した教師が伝えず、じゃあだれが伝えるのか。ややもするとスマホやゲームに依存しがちな学生もいる中で、日本語教育に関わる立場にいる者ができることを、3.11が大いに示唆しているのではないかと思います。

 ですから私は、微力にすぎないなと承知の上で、知りうる範囲で、たとえ東京でのことでも、あの日のことを体験した範囲で粘り強く伝えるように心がけています。きちんと耳を傾けようとする学生がいる限り、続けるつもりです。今さら意味がない、徒労と言われても。ひょっとして、学生の周囲に関係者の方がいることもあるでしょうし、万一学生たちが日本であれ母国であれ、同じような大災害に直面しないとも限りませんから。もちろん、これが杞憂であることを強く祈ります。

by 1220hagiwa | 2019-03-09 23:22 | 本 編 2019