6月29日(水)  ケアとしての日本語

 アートは人をケアする力がある。そう言っていたのは、折元立身さん。パフォーマンス・アーティストとして知られている方だそうです。昨秋、新潟市美術館で展覧会があったのですが、同じ会場で別のものを観ていました。それがあらためて折本さんの地元・川崎市民ミュージアムで開催されました。

 「アート・ママ」シリーズには、とにかく驚き。あんぐり。母親がアートって、すごいなぁっ、と、ぶるっと来ます。全身芸術家という名称はすでにどなたかに与えられていたと思いますが、言うなれば彼は、全身全霊アーティスト。

 小池さん、都知事選、決まり。都連の議員さんたちがああだこうだほざいても、後の祭り。女性有権者の多くは小池さんに投票するのではないでしょうか。ついでに、解説する年配の男性評論家のコメントからは、なんとなく嫌っているニュアンスがびんびん伝わります。この方、古いんじゃないすかね。頭が。

 「癒し」じゃなくて「ケア」。何でも「癒し」に集約してしまう今は、矮小化しているようで、私は気に入りません。そしてまた、日本語にはケアの力はどうなのだろうかと、一時考えていたことを思い出しました。留学生の内面を解放したり、リラックスさせたりする役割を日本語教育が果たせるのではないか、そんな可能性を探ろうとしていたことがあったのです。そしてちょうどこの夏、そんな授業への再挑戦を考えていた矢先、折元さんの言葉に触れました。天啓でしょうか。
by 1220hagiwa | 2016-06-29 23:56 | 本 編 2016